[Photo by bob the bolder]
チェルトナムの中心地の家は、他のイギリスの家のようなレンガ色ではなく、白い外壁に統一することが定められている。私はその街並がとても好きだ。
7月、イギリスの短い夏。レディにとって初めての試練は、シルバストンサーキットでのF1観戦で私が半日、家をあけたことだった。
犬を置いて3時間以上家を空けないよう、Dogs Trust から言われていたが、幸い、大学も夏休みに入っていたし、レディは新しい生活に慣れ、とても落ち着いているように見えた。
事前にサーキットに犬は入れるのかと職員に尋ねたところ、「別に問題ないと思うよ!でも、音が大きいから犬が怖がるんじゃないかなあ?」と言われた。
なるほど。F1の爆音は確かに犬向きじゃあないだろう。
こうしてレディは初めてのお留守番にチャレンジしたわけだが、帰ってきた時、レディのこころの焦りは絨毯の糞尿でよく表れていた。一緒に行った友人は不運にも掃除を手伝わされたわけだが、レディが家をめちゃくちゃにしたのは、幸運にもその時だけだった。留守中に犬を入れたりするバリケンを、家に置いている一般イギリス人オーナーは私は見たことがなく、私も置いたことがない。利点はよく理解できるが、私はこれからも置くことはないだろう。
[Photo by Anthony Dixon Photography]
Bredon の丘。この辺りの地方は「セヴァンの谷」とも呼ばれている。霧が下に沈んだ場所を運転していると、まるで雲の上を走っているようになる。
ある日、私はレディを連れて、同じ大学でアニマルサイエンスを学んでいたスペイン人のハビはボーダーコリーのガズを連れて、Bredon にある、日本人と英国人カップルの友人の家を訪れた。そしてみんなで、その家の裏に広がる、Bredon の丘のパブリックフットパスを歩こうということになった。

英国にはパブリックフットパス(Public Footpath)と呼ばれる小道があらゆる場所に存在する。放牧地などの他人の敷地、国有地などの自然の中を誰でも自由に歩くことができる。勿論犬や馬も歓迎(馬道は Bridleway と呼ばれる)。これは、農地の多いイギリスで元々、「歩く人は迂回せず、フットパスを通って許可なく他人の敷地などを横切ることができる権利がある」という理念に基づいているもので、パブリックフットパスは羊や牛、馬などの放牧地を縦断するようなものもあれば、国立公園の美しい自然を楽しめる道もある。時折、犬をリードにつなぐよう指示する看板が立つ場所もあるが、それ以外では犬も自由に歩くことができる。
[Photo by pinkhaddock]
敷地内のパブリックフットパスのゲートは色々な種類があり、家畜と暮らしてきた古い知恵を思い起こさせる。これは単純に踏み台に乗って柵をまたぐタイプ。
一行は、羊の群れが見える丘を登った。レディはリードに繋がれていたが、ガズはリードを外してもらい、楽しげに一団の周りをクルクル回りながら歩いていた。
するとハビが、「レディのリードを放せよ!見ろよ、このつまらなそうな顔」と言った。確かにレディは物憂げで、私の横でえっちらおっちら非常に歩き難そうに丘を登っていた。
犬のリードを外すという概念は、私の中にはないものであった。犬はリードに繋がれて歩くことが当然だと思っていたので、「駄目!逃げちゃったら困る!」と言った。
ハビはずっと、レディが可哀相だ、リードを外せと薦めて来たが、その日は私はとことん断った。それにガズが本能に逆らえず、羊を追いかけようとしてしまい、我々は慌てた。前回話したとおり、家畜の持ち主は犬を銃殺することができるからだ。私はほらみたことか、と思っていた。
[Photo by tina_manthorpe]
同じく Bredon の丘。冷たい風が強いイギリスは、雲が猛スピードで動き、数分おきに晴れたり雨が降ったりすることがよくある。
次の日、ハビがレディのリードを外す練習をしてくれると言ってきたので、気が進まないながらも、チェルトナムの住宅地にある四角い公園を訪れた。四角い公園は2つの出入り口以外は垣根で囲まれていたので、練習するにはもってこいだ。ちなみに、イギリスにはドッグランという定義は存在しない。多くの公園で犬はオフリードに出来るからだ。
レディはたった一度だけ、出入り口から外に出ようとして、さらにそれを追いかけて捕まえようとした私に、難色を示してとても怖がった。放浪していた時に捕まえられたトラウマがあったのかもしれない。

初めてのオフリードの日。スクエア・ガーデンで。
しかしその後は、芝生の上を走り回ったり転がったりして、楽しげにしていた。1日目は呼んでもやってくるということはなかったが、2-3日後には、レディはリードを外しても、私の周りを走り回ったり、走り回ったあと私の傍に自分からやってきたりするようになった。勿論、呼んでも素早く駆けて来た。そして家の隣の公園でもリードが外せるようになり、レディは他の犬と追いかけっこをしたり、私と一緒に鉄道跡地の遊歩道をのんびり歩けるようになった。散歩は一段と楽しくなった。
レディは自由を得ると、生き生きとし、今まで以上に私の指示に耳を傾けるようになった。リードが外れることで、レディは私の存在を強く意識し、私がどこにいるかを確認しながら私の歩様に併せて歩き、周りの状況を逸早く察知して対応するような仕草を見せるようになったのだ。
最も、犬のオフリードが許される公園や丘などの自然があることが前提で、今の日本ではリードが外せる場所はドッグランに限られるので、そういう感覚は全ての人には理解し辛いかと思う。ドッグランのような囲われた一定の場所では、犬と人が目的方向に向かって問答を繰り返しながら歩くということが出来難い。
あの時、ハビが、レディのリードを外すように薦めてくれなかったら、私はレディに一生、つまらない散歩、つまらない人生を課して、本当のレディを知ることができなかったかもしれない。周りに教えられたことは、私に常に新しい影響を与えてくれた。特に違う国の人たちの言うことは、全てにおいて新鮮なことが多かった。もしも日本にずっといたなら、きっと気付かなかったことだろう。
長く馬に乗っていると、ある日、馬上で本当に、人馬一体を感じるようになる時がやってくる。心に思うだけで、馬が人の意思を理解してくれるのだ。レディと私の関係は、散歩に出る度に研ぎ澄まされていき、それぞれが独立して歩きながらも、こころが通じ合う、まさに人犬一体、そんな感覚に近くなっていった。
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またまた、美しい風景の写真をどうも有り難うございます。
ウィーンもオフ・リードにできる場所は限られていますが、森へ出かけたりするとリードを外して並んで歩きます。もうすぐ4歳のイタグレのメスですが、昔はブリーダーさん達と一緒に出かけると先頭へ走って行ったり、戻ってきたりと嬉々として走り回りましたが、今は,かえってリードを外すと足元へピッタリついて歩いています。メスは、オスに比べ落ち着くのが早いそうですけど、走るときの矢のようなフォームを見れなくなるのは残念です。
>心に思うだけで、馬が人の意思を理解してくれるのだ。(後略)
おっしゃる通り、犬を飼ってるとこういう場面に遭遇するときがあります。どうやってこちらの心を読むのか、こちらの発散しているエネルギ−か何かで分かるのか、その辺の根拠は分かりませんが、確かに「今私の心を読んだな。」と感じる時があって、感動してしまいます。
投稿: miniwindi | 2009/03/08 18:02
どういたしまして
リードをしているときと、リードをはずしたときの犬の行動って全然違いますよね。もうあんまり走らないのですか?miniwindiさんが一緒に走ると走るのかな。自由にできるところがあるって幸せですよね。
うちの犬は11歳で椎間板ヘルニアになり、急性で突然歩けなくなりました。ちょっとの段差も上れなくなり、どうなることかと思いました。幸い、小康状態になって、またちゃんと歩けるようになり、調子が良いと、山を走っています。走る場所の地面には気を使ってます。ちなみに私は犬はどちらかというとメスのほうが好き(笑)
馬にこころが通じているのは本当は、乗り手の気付かない程度の重心の変化などを馬が微妙に感じ取っていることもあるのですが、やはり動物はどんな動物でも、他の生き物の情報、状態を察知するということに長けているのでしょうね。人間は失ってしまった、あるいは鈍感になってしまった機能なのかもしれません。
投稿: 新木美絵 | 2009/03/09 15:41
コメントを読んでヘルニアになったということでびっくりしましたが、今は調子の良いときは山を走り回れるのですね。ホッとしました。日本に帰られて、オフリードで歩ける場所がなく、レディもつまんないお散歩になっているのかしらと思っていましたが、走れる場所も見つけられたんですね。よかったです。私もいくつかオフリードで一緒に歩いたり、走り回ったりする場所を見つけ、週に4、5回は連れて行くようにしています。この週末はオフシーズンのビーチに行って、2日間一緒に散歩したり走ったり、泳がせたりしてきました。砂浜を何時間も歩いてたり、ボールや小枝を投げさせられた私は筋肉痛でたいへんですが。
そうそう、乗馬もほんの少しかじっているのですが、人馬一体とはまだまだほど遠く。私が乗るときは休憩時間だと思われているようで・・・(笑)
投稿: むつき | 2009/03/12 23:03
はじめまして。
毎回、美しい風景にため息が出てしまいます。
こんな場所で、犬と遊ぶことが出来たらどんなに楽しいだらうなぁ
と思いながら読んでいます。
レディさんの楽しく走る姿、遊ぶ姿、のんびりお散歩している姿が頭の中に浮かんできます。
きっと笑顔なんでしょうね!
本当に羨ましいです。
これからも記事を楽しみにしています。
投稿: gakun | 2009/03/14 11:19
むつきさん
全く立つことも出来なくなったときは、犬の介護とはなんと大変なことなのだろうとしみじみ思いました。特に、抱き上げられる体重の犬はいいですけど、うちの犬は23キロくらいでギリギリ。もっと大きな犬になると、老犬になったときの介護は、果てしなく大変なものになるだろうなと思いました。そのときの家はマンションの2階だったのですが、エレベーターがついているマンションで本当によかったと思いました。そのときの教訓から、今は1階住まいです。
最初の数年は都内に住んでいて、とても苦労しました。今は田舎に住んでいますが、散歩は毎日車で10分のところの山に行って、1時間くらい山を登って降りてきます。ただ、犬の性質は都会の犬のほうがまだ凶暴でない犬が多いですね。田舎の犬は吠える、引っ張る、歯を剥く、絶対に近寄れない犬が多い。犬の数が違うから比較できないのかもしれませんが。都会のほうが情報量の多さで飼い主の意識も高くなってきているのと、やっぱり番犬として外で飼われている犬が都心は少ないせいでしょうね。
イギリスでの散歩は、公用道路はリードの着用が義務付けられているので、そこだけリードをして、公園や遊歩道ではリードを外しました。リードをしていない区間のほうが長かったので、日本でリードを強制されることはとても辛い日々でした。実はレディは、リードをしているときは、「飼い主の足にピッタリついて歩く時間でわき見や寄り道、排泄をしてはいけない」という時間になっていて、トイレをするのはリードを外して自由に芝生を散策する時だったので、リードをしていると、排泄がまずできなかったのです。
むつきさんの御宅は近くにそういう場所を見つけられたのですね。本当にそういう場所があることは有難いです。
乗馬、是非是非長く続けてください。あれは本当にどんな年齢でもできる素晴らしいスポーツです。いろんな馬に乗ってみてください。上達してきたら、こんど良い馬に乗ってみると、まるで空飛ぶ絨毯に乗っているかのような、素晴らしい体験が出来ますよ。そしてそのうち障害飛越をするにしても、馬場の練習も平行してやってみてくださいね。本当は、馬場でも乗っている馬を、外乗に連れ出すのがいいのですが、日本だとできないことが多いので、これもまた各地でいろんな外乗を試してみてください。
犬好きの皆さんも、乗馬は楽しいですよ。馬の負担が少ない、良い乗馬クラブを選ぶことが大事です。イメージ的にも高価だと思われがちですが、そうでないところも沢山あるので、是非チャレンジしてみて下さい。乗れるようになってくると、海外に旅行に行ったときに乗馬を楽しむことも可能です!
gakunさん
コメントありがとうございます!
写真はやっぱり美しくとも、自然はやはり大変で、朝の散歩は朝露でぬれていて長靴は必須でしたし、いきなり大雨が降ってきたと思ったら、すぐに晴れてきて、日差しが照りつけると今度は暑くなってきたり、なかなかいろいろあります(笑)
放牧地はいろいろな動物のうんちもたくさん落ちていますしね!
セヴァンの辺りは毎年、セヴァン川があふれて、近くの町や村が洪水になることがしょっちゅうで、私が住んでいたときも酷い年があって、学校にも通えないときもありました。
イギリスには蚊がいないのですが、コッツウォルズはここ数年、夏が暑くて湿気が出てきて、なんと蚊が発生したりしています。
レディには仲良しのボクサー犬が2匹いて、その犬と遊んでいる時とが一番楽しそうだったかな。ウサギを追いかけているときは、また別の意味で、生き生きしていました。ウサギを見つけるとき、目が歌舞伎役者みたいになるんですよね。
また来週をお楽しみに。次はチャリティ草ドッグショーのお話です。
(本文中への追記)
本文に、ちょっと書き忘れたな、とずっと思ったことをここに書かせていただきます。
日本が今、犬の散歩でリードを外せないことは今までの犬飼いが積み上げてきてしまった結果、それをしょうがなくも、守っていかなければならないことでしょうと思います。禁止になってしまったものは、簡単には容認にはならないですものね。特にルールでコテコテに固めたがる日本では。
私が言いたかったメッセージは、「オフリードを決して頭から悪だと思い込まないで欲しい」ということです。決して、「さあみんなリードを外しましょう!」と言っているわけでなく、日本はリードを強要する国になってしまったが、オフリードとオンリードの使い分けがしっかりできているところもあって、それでも人と犬は幸せに共生出来ることもあるんだよ、ということを言いたかったのです。
なぜ、「あなたが可愛いと思う犬でも、犬が嫌いな人、怖いと思う人がいる」という理由が日本の公園の看板ルール第1項に来てしまうようになったのか、なぜ英国でそんな理由がどこからも出てこないのか、犬が嫌いな人の権利を守ることは、犬が好きな人と犬の権利を剥奪することではないのか?じゃあどの程度の割合で「犬が嫌いな人」が存在するのか。なぜ「ノーリードの犬は怖い」という印象になってしまったのか。なぜ「リードがないと歩けないような犬」になってしまったのか、などなど。
皆が、周りの情報を鵜呑みにしないで、周りのルールに素直に納得しないで、これはおかしいんじゃないか、これはどうしてこうなったんだろう、ということを、自分の頭で考えて欲しいのです。
ただ単純に周囲の意識や既存のルールをそのまま漫然と受け止めるだけでなく、ただ周りがそういっているから、それが正しいのだろうと思うことなく、頭を使って、自分の意見を持ってもっと主張してほしい、特に若い人は昔よりもっとさらに「周囲との協調性」が強くなりすぎて、無理して合わせる、または合わないものを責める、排除する傾向にあるように思える。悪いことじゃあないし、それが日本人の良いところでもある、でも時々、日本の更なる発達を邪魔しているように見えるのです。
投稿: 新木美絵 | 2009/03/14 14:57
新木美絵さん、
前にも書きましたが、日本でも犬のオフリードを容認する条例や犬の使役の例はあります。都条例の例外事項もありますし、近年では山村でのモンキードッグや、害獣となった鹿を追うための犬たちは、積極的にオフリードにして仕事をさせています。都市部には公営市営を問わず、たくさんのドッグランや訓練施設も出来ました。
日本の都市部は欧米と状況が違います。日本人の多くは狭い平野に極端な過密状態の都市部で暮らす昔からの習慣があること、馬車を使った歴史がないため、車道と人道が区別されておらず、仮に歩道があっても車道を横切らざるを得ない混合交通である事等の歴史的背景があって、リードは訓練未了の犬にとって、犬自身の身を守る命綱と言う面もあります。
もちろん大人なのに犬が怖いと言う人もたくさんいます。私は代々嘱託警察犬を飼って来た家で育ったので、犬はきちんと訓練して、最低でも人様に迷惑をかけない様に飼うものと言う感覚で犬と接してきました。その感覚からすると、呼び戻しもろくにできないのに、公共の場所で大型犬を放す飼い主には疑問を感じます。犬はオフリードにならすために放すものではなく、オフリードにしても安全な様に訓練してから放すものだと思います。少なくとも日本の都市部で放したいなら、です。幸い日本でもペットブームのおかげでトレーニングスクールに通い、犬を訓練して飼う方が増えてきたのは良い事だと思います。
先週末、実家で里子として飼い始めたピットブルと、家のラブラドール(引退した盲導犬)を連れて、近隣のドッグランに行きました。ピットブルはリードを解くと不安そうに父を見つめ、家の犬がどんなに誘っても、片時も父のそばを離れようとしませんでした。一度飼い主に捨てられた記憶が彼にそうさせているのでしょう。家の犬も、知り合いに一通り挨拶が済み、満足行くまでボール遊びをすると、ベンチに腰掛けた私たちに寄り添って、ピットブルと一緒に走り回る他の犬たちを眺めて過ごしました。
日本の場合、犬に一定の訓練を入れて、オフリードでも安全な様にしたとしても、都市部では放して遊ばせられる場所は限られています。日本が得意な箱物行政ですが、広大なドッグランを駆け回る犬たちを見ていると、日本でこういう犬の飼い方が出来る様になったのも、そんなに悪くないと思われてきました。
投稿: K9 | 2009/03/16 10:48
K9さん
最初に言っておきますが、私はドッグランという存在が大嫌いなのです。あれは犬を隔離するために作られたものとしか思えないのです。はっきりいってどこも狭すぎます。それに特にドッグランの質の悪さにも目が行きます。地面の悪さ、固さなど、こんなに脚に負担がかかるところで走れってか、と。ドッグランも訓練施設も所詮ビジネスよりなので、数だけは沢山増えてもおかしくないが・・・。まあそんな話はどうでも良くてまあそのへんの偏見に満ちた目でお読みください(笑)。残念ながら今回のK9さんの日本代表のような正当な意見は、異端児の私の頭の中の意見にどれも納得するよう行き着かないようです。
前にも私は言いましたが、K9さんのオフリードの条件は特殊条件でしかないです。
それと私は道路でオフリードにしたい、していた、とは言ってないのです。交通事故が怖いのはどこの国も同じです。日本の道は確かに人も歩きにくいし車も運転しにくいですけどね。
でも、呼び戻しなどの練習は日本の犬には必須だと思います。その呼び戻しの練習をしなければいけないこと自体が不憫だと思いますけどね。小さい頃から四六時中リードがなくてもいい環境ならわざわざ頑張って練習しなくてもいい。ドイツの犬のようにね。
何度も言いますが、私はリードを外せるようにしよう!と運動しているわけでも主張してるわけでもないし、どうやったらリードを外せるかと問うてるわけではないのです。リードを外しても、犬と人は社会を分け合うことができている所もあるんだよ、ということを伝えたいだけで。日本はその限られた環境の中で、ドッグランを作るとかそういう方向に進んでしまったけれど、それが「普通なんだ」と絶対思わないで欲しいのです。どちらが幸せかということを考えれば、イギリスやドイツの環境での犬の生活のほうが到底幸せだろうということが目に見えるからです。勿論、国土のほとんどが人も住めないような山の多い日本だし、公園も少ないし狭いからしょうがないです。それにその犬が日本で生まれ育てばそれが普通だと思って一生ずっと過ごすわけですから、何の不満も出ないかもしれないし、今の環境で満足しているならそれはそれでいいですし、犬にとって一番幸せなことは主人のそばにいることだとは思いますけどね(←と自分にも言い聞かせてきたのです。つれてきた罪の意識に)
馬も犬も動物園の動物も、動物の本来の生活にあっていない生活を強いられると、ストレスで行動がおかしくなりますね。日本の馬は特に顕著なんですよ。草地での放牧がほとんどないし、乾草を少ししあるいは全く与えられないので常に食べているという本当のウマの行動を奪われます。そうするとさく癖やゆう癖という悪癖がどんどん出てきます。これは科学的にも証明されている行動心理なのですが、ほとんどの日本の馬飼いが、馬が馬らしい生活を送っていないせいでさく癖が出るとは思っていません。なぜなら今までのその飼い方がずっとやってきた飼い方で、今まで何も問題はなかったと思い込んでいるからです。で、そういう人が時々イギリスにきて厩舎に来ると、馬が静かにしているから、「イギリスの馬っておとなしいね!!」と驚きます。ところが別にイギリスの馬がおとなしいんじゃなくて、それが本来の馬の姿なのです。犬も同じで、思い込みって怖いと思いませんか。
まあ正直な話、超自己中心的に考えれば、犬がリードをつけようがつけまいが、私はどうでもいいのです(笑)自分と自分の犬に危害がなければ。でも、確かに、これは確かに(!!!)日本に来て、ノーリードの犬が怖くなった事件がありました。
凝り固まった考え方ではなく、考え方の多面性を持って欲しいというのが、自分なりの最終的なメッセージのようです。どうやら。
投稿: 新木美絵 | 2009/03/16 14:07
K9さんの意見に同感です。日本の事情云々も然りですが、リード無しで犬に自由を与えることは、彼らに”義務”をしっかり教えてからの結果にしなければ人間、犬双方共に好ましくない、不快な、危険な事態を引き起こすでしょう。”うちの犬はバカだから”と言う前に、犬にも脳があること知って欲しいです。人間との共生について学習する能力は充分以上に持っているし、自ら判断、問題解決もできます。残念ながらまだまだ犬を勉強もせず、教育にも時間、お金を費やさず、”極端な過密状態の都市部”でトンチンカンな行いをする飼い主はいますが、同時に犬のしつけ教室も増え、飼い主の意識も変化しつつある現在、犬とのもっと素敵な共生に繋がっていく筈だと期待しています。香港からニューヨークはマンハッタンのど真ん中に移住した友人のジャーマンシェパードもこの生活条件に叶った振る舞いの教育を再度受け、無理なく都会生活を楽しんでいます。ちなみに、我がギャング共が先ずしっかり身に付けなければ自由になれない条件は完璧な”呼び戻り”と”放っとく”です。日課で自由に丘歩きをしますが、私が休めば極自然に足下に控えているし、行き交うハイカーとその犬たちにも”呼び戻り”と”放っとく”で邪魔にならないようにしています。これは自慢でも何でも無く彼らが自由を手にする為の極当たり前の義務だからです。そして人間と共生するどこの国の犬にも要求される振る舞いだと思います。
投稿: chatokibi | 2009/03/16 15:54
chatokibiさん
そうそうそうです。これは私もだいたいagree
自由には責任が伴うのです。
もっともっと色々な意見、お待ちしております。
投稿: 新木美絵 | 2009/03/16 16:12
はじめまして!いつも更新を楽しみにしています
我家の犬は縁があって 数年前にヨーロッパからやってきました。

彼もレディちゃんの様にオフリーシュの状態で行動するのが
当たり前の環境で育ってきました。
オフリーシュの訓練というのではなく 全て感覚で行動してる気がします。
彼をオフリーシュにすると 目が輝き全身で嬉しさを表現します。
誰に迷惑をかける事も無く 自分の為に楽しむ事を知っています。
その姿を見ると いつも私達まで彼のポジティブオーラに包まれます。
そう思ってるのは 飼い主の私たちだけかなぁと思っていましたが、、、
先日、散歩の途中に 知らないオジさまに話しかけられ
いつも公園で 犬と私がメチャクチャになって遊んでる姿を見かけると
いつも楽しい気持ちになるよっと言ってくれました!
犬が嫌いな人もいますが 微笑ましく見てくれてる方もいるんだぁと思い
すごく嬉しい気持ちになりました。
人間も動物も楽しく共存出来る社会になればと いつも願っています
投稿: Lucea | 2009/03/17 19:15
毎回 ドキドキするような記事を見ています♪
椎間板ヘルニア。
うちのウィペットも、10歳で2回目の故障をしました。
すでに走るのはかなりきついようですが、自分なりに走りたい時に
走ると言う状態を保っています。
もちろん、オフリードですけど。
生まれて数ヶ月で、まず最初に訓練したのは『オフリード』でした。
ドッグランとは言えど、呼び戻しが効かないと困りますしね。
美絵さんが住んでいた広大な場所でのオフリードができるのは、羨ましいと思いました。
皆さんがおっしゃってるとおり、オフリードにすれば信頼関係が築かれると思いますね。
アイコンタクトで、お互いの思想を図ることが可能ですし。
取りとめもないコメントになりましたが
今後の更新、楽しみにしています。
投稿: ロッキーママ | 2009/03/18 12:04
Luceaさん
これはまたポジティブな面白い意見ですねえ。
来日犬を飼ってらっしゃるのですね!!その育った感覚は本当にレディと近いですね~~~。
私は農場の中の小屋に1ヶ月くらい滞在していたことがあったのですが、その時の散歩は本当に何も持たなかったです。首輪もリードも、ウンチ袋も。これは楽でした(笑)ただバーンと家の扉をあければ犬がタカタカと出て外を散策、私も薪を拾いにいく・・・と。またいつかそんな暮らししてみたいですね。
そうそう。嫌いな人も好きな人も、それぞれgive and takeのような関係で、分かち合いたいですね。
どっちかというと、私は公園でのマナーより、ドッグカフェなど、犬同伴可の店内でのマナーのほうが、いただけないなと思うことが目に付くことがよくあるような。
あとはリードをつけたまま走らせたり、リードを持ちながら自転車併走とか、犬の脚と首にとってとても良くないからやめて欲しいですねえ。
ロッキーママさん
これまた解かりやすいご意見、ありがとうございました。
ヘルニアはきついですよねえ。
介護も本当に大変ですね。
老後になってさらに痴呆とかが出たら、と思うと(ネタばれになってしまうのでここでは内緒ですがうちはアレだからもしかして痴呆が早くに出るかも)。
レディ、今年で推定13歳です。
PS いろいろとおめでとうございました^^
びっくり、びっくり。
<ちなみに>
日本語で浸透した「ノーリード」という言葉、文法的に正しいのか、英国人に聞いてみました。
No leadというのは、その犬が首輪や胴輪、リードもなく、周りに飼い主もいなくて一匹で歩いている野犬状態のことを指し、
Off a lead (On a lead)という言葉だと、引き綱は外しているが、飼い主がそばにいる状態を指す、ということだそうです。
1人にしか聞いていないので、完全に正しいのかは定かではないですが、在英語圏の方、またはご家族に英語がネイティブな方がいる方、さていかがでしょう。
投稿: 新木美絵 | 2009/03/18 16:43
私は在米ですが、日本で言うところのノーリードはoff leashですね。
ちなみに冠詞はありません。
話題が少し戻りますが、新木さんが「ドッグランが嫌い」とおっしゃるのわかります。
京子アルシャーさんが書いていらしたのですが、あれはアメリカ発のアイデアらしいですね。
新木さんのおっしゃる通り、あれは犬を隔離するためのものだと思います。ただ、アメリカでのドッグパークは敷地も広大で地面は芝生の場合が多く、日本のように料金を支払うなんていうのは聞いたことがありません。また、コヨーテやマウンテンライオンが生息する地域ではフェンスのある見晴らしのいいドッグパークは、安心して犬を遊ばせられるという利点もあります。
日本ではドッグランにしろドッグカフェにしろ「犬のため」ではなくて「飼い主の心理をくすぐる金儲けのため」であるのが一番の問題なのだと思います。
「動物の権利」という意識が希薄(または皆無)な社会なので「犬嫌いの人の権利を尊重して、犬立ち入り禁止の公園」なんてものが存在するのでしょう。
一朝一夕にどうにかできる問題ではなさそうですが、諦めてしまっては何も進歩がありません。
このdog actuallyのような場を盛り上げ、多くの人が問題に目を向けることも小さいながらとても大切なことだと常々思っています。
投稿: あが | 2009/03/19 00:53
あがさん
頼もしいご意見ありがとうございました。私も同感。
いやね、私も、じゃあleashはどうなの?と聞いたんですけど、leashは犬よりもっと大きな動物に使う言葉と言われたのです。その人動物関係でもなんでもない人なので、正しいか定かじゃないのですけどね。もしくは米英での違いがあるかも。
なるほどなるほど。そういう野生動物から身を守るというのはドッグランの意義がありますね。
お金を取って酷いところ沢山ありますよね、、、
>このdog actuallyのような場を盛り上げ、多くの人が問題に目を向けることも小さいながらとても大切なことだと常々思っています。
そう、結局、今は犬嫌いな人だけでなく、日本の愛犬家の中でも、ノーリードは極悪行為であるという意識が高まっていて、その気持ちもよくわかるのですが、頭から極悪とは思い込まないで欲しいというメッセージから、私は皆さんの頭の中の「?」をフル稼働させてほしかったのです。リードの話だけでなく他のことも、きっとそんな微々たることから、いつかじょじょにチェンジを遂げていければいいと願います。
投稿: 新木美絵 | 2009/03/19 08:59
新木美絵さん、あがさん、
私は地元で公立のドッグランの設立や運営に関わっていますので、すれ違いになるかも知れませんが、書かせていただきます。
私自身、犬が放し飼い状態のアメリカ東部の田舎で暮らした事がありますので、犬を閉じこめたり、繋いで飼えと言う日本の地方自治体条例には反発を感じています。ただ日本で暮らす以上悪法でも法律の遵守は必要ですから、犬も人も妥協せざるを得ないのが実情だと思っています。海外、特に欧米に住んでいると、日本の犬事情は後進国に見える場合もあると思いますが、日本もペットブームのせいで、犬のビジネスの悪い面が助長されたかわりに、飼い主の数が増えた分、改善も始まっていると感じています。
私も「わんちゃん、さわっても良いですか」と公園で家の犬をなでにくる子供がいたらリードを外して犬を座らせます。緊張のあまりリードに引っかかって転ぶお子さんが多いからです。でも目を細めてじっと子供になでられている犬を見ると、親御さんから苦情が出る事もありません。彼女がしている盲導犬と書かれたチョークカラーも安心を助長するようです。日本は介助犬に関しては、かなり鷹揚な国だと思います。
日本を犬にとって理想的な環境に近づけるには、もっと飼い主の自覚を高め、犬の社会化やしつけを誰もが自分で行う様になり、公園で犬と子供が自由に遊べる様な状態に出来るのが良いと思います。それには学校教育でも犬や動物の扱いを教える必要があるでしょう。実際には、日本の人口密度がEU各国並に減ることも必要なのかも知れません。
ご指摘の様に東京都のドッグランの設立趣意書を読むと、大半が「頻発する咬傷事故を防止し、犬を連れた利用者の便宜を図る」と言う意図がまず都側にあります。つまり都側の言い分としては飼い主が制御出来ない犬の放し飼いのせいで、咬傷事故の被害者が続出しているが、犬を連れた利用者の便宜も図りたいので、現状では分離せざるを得ない、と言うことだと思います。
日本に住んでいないとご存じないかも知れませんが、ここ数年地元のボランティアが参加して公立の公園で犬の飼い主の自主運営でたくさんのドッグランが作られています。たしかに日本の得意な箱物行政による隔離政策の側面もあるでしょう。でも公営のドッグランの管理運営にはボランティアで犬の飼い主や獣医師の協力が必要で、実際の運営はほとんどボランティアである犬の飼い主自身が行っているのが現状です。次善の策とはいえ、日本の犬の飼い主さんの多くは、ドッグランの設置を望んで、それに東京都が応えたのです。
あくまで日本人的な感覚かもしれませんが、近年都立の公園に新規に設置されたドッグランは、3500平米以上のところも複数あり、ボランティアの意見を取り入れ全面ウッドチップ敷き、草原、林の場所も多く、すべて無料です。以前からある古い有料のドッグランの様に狭苦しい感じはしません。先日家族で行った昭和記念公園のドッグランは5500平米あり、米軍が駐屯していた頃からの草原と疎林の環境のままでした。家の老犬は耳が遠く目も弱いのでボールを追って遠くまで行くと、呼んでも分からないみたいであわてて帰ってきました。日本ではこの程度の広さでも飼い主さんから苦情が出る事はありません。
新木さんご自身は、イギリスで犬を飼われていたご経験から、具体的にどうしたら日本で犬と幸せに暮らしていけるとお考えなのでしょう?
私も日本における犬事情の改善を望んでいるので、是非具体的なご意見をお聞かせ願いたいと思います。
投稿: K9 | 2009/03/19 11:54
>具体的にどうしたら日本で犬と幸せに暮らしていけるとお考えなのでしょう?
これの答えは帰国後数年ずっと考えましたが、日本にいる限り、自分は(あくまでも自分はね)満足できないと思っています。イギリスに戻るしかないですね(笑)まあそのへんの話は、本編でももっと後のほうの話になるので、ちょっと控えておきますネ。
だいたいの今回のご意見には私も同意です。それと前にも言ったことがいくつかあるのでそのへんは前のレスで・・。
投稿: 新木美絵 | 2009/03/19 12:29
私も、ドッグランは嫌いです。ドッグランは犬を隔離する場所でしか無く、しかも、公設ドッグランは、結果として、犬を放置して飼い主が楽をするための場所になっていると思います。
犬は隔離するのではなく、
犬がそこにいて何も不思議が無い。リード付きか否かは、人がスカートをはいているかパンツをはいているかの違いと同じ様に、個人の判断で、個性であっていいと思います。
飼い主が、今はリードがついていた方が良いと思う時はリードをつけていればいいし、離れていても何も問題が無ければ、個人の責任で放せばいい。
しかし、そうするためには、そこにそぐわない、攻撃性を身につけてしまった犬とか、咬傷事件を起こした犬を安楽死させるという社会的な強さが必要になってしまう。日本は、そうではないです。
何も問題が無い犬でも、捨てられれば行政が殺処分するし、攻撃性があって何度も人を噛んだ犬でも、レスキュー団体が「命」だといって安楽死させない道をとろうとする。
>イギリスに戻るしかないですね(笑)
ちょっとね、私も、同感です。
投稿: dddd | 2009/04/09 11:58
きっと読者の誰もが、「そんなに海外がいいならエゲレスにけぇんな!」と思っているかもしれませんね(笑)
日本で生まれて日本国籍のパスポートを持つ以上、他国で就労するということはそう簡単にはいきませんからねえ。それにヒトの医療とかやっぱり日本のほうが安心だし。まあそんな雑談は良くて。
>しかし、そうするためには、そこにそぐわない、攻撃性を身につけてしまった犬とか、咬傷事件を起こした犬を安楽死させるという社会的な強さが必要になってしまう。日本は、そうではないです。
>何も問題が無い犬でも、捨てられれば行政が殺処分するし、攻撃性があって何度も人を噛んだ犬でも、レスキュー団体が「命」だといって安楽死させない道をとろうとする。
ddddさんの言うとおりだと思います。
結局は、考え方、やり方の「基本」がないから、ものすごくバラつきが出る。世間でも「にわか動物愛護」が責められて、本来の意味を失ってしまう、、、その辺り、日本は今ゆれている時ではないでしょうか。もうちょっと、動物の倫理が学問として浸透すればいいなと思いますね。
>犬を放置して飼い主が楽をするための場所になっていると思います。
そういう人もいますよね。。。で、誰でもどんな犬でもドッグランなら大丈夫と思う人がいるから、私はドッグランは怖くて自分の犬は入れれないですね。うちの犬も喜ばないし 笑
史嶋さんのお話http://dogactually.nifty.com/blog/2009/03/ver21-8137.html
のコメント内でも、体重によってランを区画分けして、違うエリアに入ったら、怒られる、という話が出ていますが、これも例えば理由として、自分の犬が小型犬を獲物と思って狩ってしまうかもしれないから怖いから入らないで、っていうような、自信のなさの現われだったとしたら、そういう気持ちの人が犬を放しているわけだから、怖くて当たり前だよなあとも思いますね。犬が獲物を狩るのは普通ですけど、犬が、犬と他の小動物を区別できないのなら、それは飼い主のコントロールと監視がもっと必要でしょう。イギリスにも小型犬は駄目なグレイハウンドとか、わりといますけど、そういう犬はリードを外さないし、外す時は口輪をしてますね。それくらいの配慮がないと、ドッグランだから何でもやっていいっていうなら、本当に怖い場所としかいいようがないですよね。
ただ、ドッグランが出来るだけマシという考え方も、決して間違えとは言えませんからね。それだけドッグランを重宝し、ありがたく思っている人もたくさんいますからね。
投稿: 新木美絵 | 2009/04/09 20:43
記事自体もよかったですが、活発なコメントやり取りもとっても刺激に満ちていますね。
オフリードやドッグランについての新木さんの独自の視点や考察を新たな記事にまとめていただきたいです。
投稿: ノナ | 2009/09/20 14:52